記事の詳細

アメリカの社会学者アーリー・ラッセル・ホックシールドは、1983年に出版された『管理される心: 感情が商品となるとき』の中で、「感情労働」についての社会学的な考察を発表しました。ホックシールドの言う感情労働とは、対人サービス従業員が顧客に対応する際に、自己の感情を適切にコントロールして、企業が望むような感情を表現することにより、企業価値を生み出す労働を指します。ホックシールドの著書は、当時のフェミニズムの台頭を背景に、大きな反響を呼びました。

感情労働理論によると、サービス従業員は顧客との対応の際に、企業から求められる感情が自然に起こらない場合、「感情戦略」を取るとされます。感情戦略には二つのタイプがあります。それは表層演技と深層演技と呼ばれ、社会学者ゴフマンが提唱したドラマツルギー(演出的な方法)の潮流をとる概念です。顧客を観客と見立てた「表層演技」とは、従業員が自分の感情を変えずに、一時的に表情と態度を変えて、サービス従業員としての自分の役割を演出する感情戦略です。「深層演技」とは、努力により自分の感情をコントロールして、企業が求める気持ちと自分の自然な気持ちが一致するように、自分の気持ちを修正して、サービス従業員としての自分の役割を演出する感情戦略です。ホックシールドの著書が出版されてから30年以上経ち、現代のビジネス環境を背景とした感情労働をめぐる考察の中でも、『感情労働と役割コンフリクト・曖昧性との相乗効果』などの著書をもつ、岡部倫子氏の研究が注目されています。

岡部倫子氏は、フランスで航空MBAを、日本で博士を取得した経験を活かし、サービス企業と従業員の感情労働の研究を行っています。氏は、感情労働というテーマを現代的な視点でとらえ、サービス従業員が陥りやすい「感情の枯渇」とバーンアウト(燃え尽き症候群)の問題点を指摘しています。また従業員の会社に対する信頼度が低下した場合に、感情労働を実践することにより、信頼を回復することを検証しています。岡部氏によると、会社はサービス従業員に、感情規制をそれとなく示します。感情規制とは、会社にとって望ましい感情表現を、従業員が顧客や同僚に表現する規制です。感情規制は、雇用契約には明記されないけれども、社員教育の場などで示されます。例えば、客室乗務員は微笑みを浮かべて、明るく親切な態度で顧客に対応することが求められます。従業員が自己の感情をコントロールするとは、従業員が会社の感情規制に従順することです。他方で、現代のように組織が大きく複雑であるほど、従業員は「役割コンフリクト」と「役割のあいまい性」を感じる可能性が高くなります。そして、従業員が役割コンフリクトや役割のあいまい性を感じる職場では、従業員の職務満足は低下し、会社に対する信頼度も低下します。

岡部氏は、サービス従業員の職務満足や会社に対する信頼度が低下する傾向にある場合、顧客へ応対する際に、「アフェクティブ・デリバリー」の実践が効果的であると説いています。アフェクティブ・デリバリーとは、ポジティブな感情表現を意識的に用いることにより、顧客を満足させる対応を指します。氏はサービス業従事員が、ポジティブな感情表現を用いることは、顧客を満足させるのみならず、サービス従業員が陥りやすい、感情のストレスや感情の枯渇を予防することになることを実証しています。アフェクティブ・デリバリーを実践することは、ますます重要になるでしょう。

関連記事

おすすめ記事

登録されている記事はございません。

ページ上部へ戻る