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庭野仁司は、高校、大学と卓球部に所属していました。大学で教員免許を取り、赴任した中学校で卓球部の顧問をしたかったのですが、卓球部の顧問はすでに居たため、しかたなくバスケット部のお手伝いをする事になりました。

バスケットの経験は体育の授業で受けただけだった庭野仁司は、ルールも良くわからず初めは何をしたら良いかわからない状態でしたが、自分も一から勉強するつもりで一年生の練習に混ざりながら練習に参加しました。本来、凝り性だった庭野仁司は、専門誌やDVDなどを読みあさり、知識を吸収し、次の年には監督になれる知識が備わっていました。

その頃のバスケット部は年齢序列制があったので、どれだけ上手くても先輩を差し置いて試合にでることはできません。一年生大会で地区優勝した一年生が二年生に上がってもその状況は変わりませんでした。三年生が引退した時に、それまで顧問だった先生が転任し、庭野仁司が顧問になりました。幸い、二年生は地区大会にも優勝する力量を持っていましたし、何より、入学当初から一緒に練習をしていた仲間です。そこには既存の先生と生徒という枠組みはなく、同じ仲間のような関係が築かれていました。

練習内容もこれまでのものから変更し、より生徒にあった指導を行いました。特にポジションに合わせた練習内容に変えたことで、より専門的な動きをマスターする事ができ、徐々に試合でも結果を出して行きました。庭野仁司が初めて担当した代は、これまで届かなかった県大会に出場し、三位にまで食い込みました。

その後、庭野仁司はいくつもの結果を出し、名将とまで言われるようになりました。しかし、庭野仁司はこれまで通り一緒に汗を流し、不安や不満を身近に感じることに重点を置き、生徒の育成にあたっています。時には本気で怒りますが、それも生徒が納得いった上での指導です。生徒が納得していない時には、分かり合えるまで話し合うスタイルに変わりはありません。

今日も生徒に混じって、走り込みや、筋トレなどを行っています。同じことをやる指導者に生徒の文句は出るはずがありません。同じ練習を同じ時間行うことによって、より生徒と自分の間に壁を生む隙を作らないようにしています。このやり方はこれからもずっと続けて行きたいと語っていました。

庭野はバスケットボールを通じて、仲間の大切さを学んで欲しいと言っています。中学の時の仲間はすごく繊細で、とても脆いものだけれど、それだけ尊いということをかみしめながらバスケットに取り組んで欲しいと思っています。自分はその手伝いをしているだけで本当に褒められなければいけないのは、監督の私ではなくこんなおじさんと一緒に毎日バスケットをしてくれている生徒なんだといつも生徒に感謝を忘れない気持ちを持っている庭野先生は、とても素敵な先生でした。

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